2012年7月8日日曜日

木下黄太さんをご存知ですか?

原発おことわり三重の会のブログへようこそ。

なかなか定期的に更新できてませんが、気長におつき合いください。吉原芳一

今日は、木下黄太さんのブログを転載します。

ずっと続いている問題の途中からいきなり引用されてもご迷惑かと思います。

関心をもっていただけたら、元のブログにアクセスしてみてください。

木下黄太さんプロフィール
徳島県鴨島出身。
1999年、茨城県での東海村JCO臨海事故 (日本国内で初めて事故被曝による死亡者を出した)を 直接取材し、放射能の危険性を認識。
3月11日より、福島第一原発の事故に関わって放射能汚染の問題を調査・取材・発信し続けている。

★(以下、木下さんのブログの最新記事から転載します)

直視しない人達に対して、僕が何か為すことに、有効なことはまだあるのか。7/28(土)山形講演。

2012-07-08 14:15:23 | 福島第一原発

 自分が、このブログで一年数か月にわたって、書き続けてきたことは、原発、放射能に関しての様々な様相を明らかにし、その在り方を直視し、対応を促すことであると思います。しかし、残念ながら、僕の書き続けてきたことそのものを、「デマ」という一言で、葬り去ろうとしている人々は一定数存在し、多数の人々は、僕の指摘に対して、耳を傾けるつもりはないようです。

 何万人単位でこのブログを見ていただいている読者の皆さんはいらっしゃいますし、ツイッターやフェイスブックにも、やはり万単位、あるいは数千人の方が見ては頂いていると思います。その点では、ある程度の影響力は、存在はしていると言えるかもしれません。

 しかし、僕がおそらく、どんな言説を用い、どんな状況を説明し、いろんな情報をお伝えしても、結局のところ、この関東・南東北に存在する圧倒的多数の人々は「見ざる、言わざる、聞かざる」という状況は微動だに致しません。圧倒的多数のこの見解の壁は、本当に切り立っていて、現在までに突破する方法論を僕は見いだせている訳ではありません。

 デモという行為そのものでさえ、圧倒的多数の人々が、、意味なくそこに参加している状況があり、主催者を含めて、行き着く先を想定していない状態が浮き彫りになっただけと思います。これは、特に放射能による健康被害が、首都圏でも起こりつつあるし、確実におきるだろうという僕の直言を、聞きたくないという人々が、原発再稼働反対というテーマを掲げる人々の、多数であることからもよくわかります。

 つまり、僕が、どのように直言して、直視することを伝えていても、その感覚を共有されない人々が、桁違いに多く、僕の為すことの有効性を、認められるのかという疑問がでてくることが当然かと思います。直視しない多数の人たちに対しての問いかけは、大きな枠組みでは、水泡に帰していると言えると思います。

 僕の書いていることや、伝えていることの大半に内実がなく、相手側が直視する必要もないと考えているのなら、僕が終わっておしまいです。議論はいりません。この点で、僕がデマを書き続けていて、僕の存在が許せない人々は、現実に僕をとどめるための様々な方策を、具体的にとられればよいと思いますし、言論の自由がある限り、口をふさげないと考えていらっしゃるなら、僕を殺害するしか、最後の方法はないと思います。どうしても、嫌ならその手段をとることも想定されるべきです。そうすれば、答えは簡単です。なにが、そんなに嫌なのかは知りませんが。

 ただし、書いている内容に、内実があるにも関わらず、直視しない人達の方が、多数であると思います。これは、過去に起きたことから、想像して、ある程度の災厄を想定して、人々がどうふるまうかしかないと言うのが、僕の感覚ですが、直視しない方は、その地平まで、自分の駒をすすめません。進めないがゆえに、事態を認識しなくてよい。危険度の認識の差はあれ、本質的なリアルな危険を直面しないことで、それ以上は深く思考しなくて済みます。話は終わります。

 少しは、食べ物に気を使いながら、東京生活を享受するのが、実は直視しない人達の大半だとおもいます。

 こうなっている状況は一年三か月の時間の経過とともに、くっきりとした様相を浮き彫りにしたと考えます。僕自身、直視しない人達への問いかけそのものが、なかば崩壊しているのが現実であろうと理解しています。「みんな無理だから、木下さんは、どこかで海外に避難してよ。」という誘いさえ、ほんとによく聞きます。僕自身の居場所のなさも併せて考えると、その甘い水の誘惑はよくわかります。甘い誘惑です。

 ただし、その甘い誘惑に乗るよりも、僕の中で、何が有効であって、何が有効でないのか、冷静に見つめなおすことも必要でないのかと考えています。直視しない人々は、どうして直視しないのか。直視せざる負えない現実が、目の前にまざまざと展開しない限り、この時代のこの国の人々は、思考していくことはないし、さらにそこから、行動に歩を進める方たちは圧倒的少数という事です。21世紀の時代の流れの中で、この国のほとんどの人たちが、リアルな現実へのかかわりを、多く求めておらず、自分が生きていくことそのものにも、強く志向しない状況は、ありとあらゆるところではっきりと露呈しています。

 こうした時代の渦の中で、今回の原発事故とそれに付随する放射能被害という状況がおきた。しかしながら、あの程度の爆発事故が映像で見えても、放射能被害という様相は、すぐ目の前に展開するわけではない。展開しない以上、そのリスクを過度にとらなくてもよい。大丈夫だろう。一年経過しても、大きな変化はないから、もう忘れてもよいかもしれない。こうした、心の動きを強めているのが、多くの人たち。そうでなければ、元々関知もしない人達。これが、現実で、これが、今の日本と思います。

 事故発生当初に、福島でおきた受け止め方は、さらに東京にも蔓延していて、過剰に危険をいう事が間違っている、大丈夫だという強い念があります。どうにもならない念です。ここで、ドンキホーテのごとく、直視することを言い募っている人間は、少数どころの話ではありません。おそらく、名前を出して活動している人間、社会的にわかる人間の中の、数人位しかいないと思います。そうした言説は圧倒的少数です。特に東京で、この言説は力を得られません。押し寄せ波の強さが、あまりにも強く、伝わる方法論は見定められません。

 僕は考えあぐねています。本当に健康被害が、僕の想定と違い、何にも起きないなら、それ見たことかになりますし、誰かが、僕の命を取ればよいと僕は思います。しかし、おきた場合は、このリアルを見なかった人たち、直視しなかった人たちの、一定数に致命的な事象がおきますし、病という事象が過度におこると思います。そうしたときに、直視しなかった人たちが、自分の心を、本質的にごまかしていくことは、かなり難しいと思います。政府も、メディアも、企業も、あなた個人も。自分たちの体に、自分の子供の体におきたことは、勿論放射能が原因ですが、あなたたちの責任になります。そして、これだけ直視することを言い募っていた僕が、その行為を為しえなかったというリアルも、僕はかみしめるしかないと思っています。

 僕は想像しています。自分の身近だった人間、自分が愛している人間、自分が知っている人間が、病に倒れたり、亡くなっていくという有様を、見せつけられる現実を。僕の無能さを思い知らされながら、「お前のしたことなど、何の役にも立たなかったんだよ。」と悪魔に囁かれる自分の姿を。おそらく、僕は自分の無能さを深く深く認識することしか、何もできないということも。この国の、この人々に対して、僕は、なすすべなく立ち尽くすだけです。この後の、多くの死や病を見せつけられるという枷を感じながら。

 何一つ、楽しいことはありません。

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僕に対しての講演などのご依頼、そのほか業務的なご依頼の受付アドレスを変更しました。info@kinositakouta.com
いろんな問い合わせは多いため、純粋にこうした依頼関連の窓口は、変更したと考えてください。

僕の連絡先は下記。上記以外のご相談は、まず下記へメールでお願いします。nagaikenji20070927@yahoo.co.jp

「関東・南東北の被曝エリア(東京全域を含む大半のエリア)にいる皆さんは、放射性物質の少ないエリア、できれば愛知県から西のエリアに、移住するべきです。妊婦、子供、未成年、妊娠可能な女性は優先して移住すべきです。他の皆さんも極力移住してください。被曝から一年が経過しています。初期被曝は深刻で、慢性被曝の影響がさらに危険です。食物、飲料のみならず、吸気による被曝も軽視できません。回避する方法は限定的です。あなたやあなたの家族の命が何よりも大切です。一刻も早く移住してください。」

 「健康被害と思われる事象が顕著にあらわれている方は、僕までメール下さい。事故発生当時の行動記録や数値データなどを細かく教えてください。問い合わせの内容も書いてください。健康被害の状態を皆で共有化し、事態の推移をあきらかにしていく作業が最も必要です。nagaikenji20070927@yahoo.co.jp

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